ドーラ・シーラという魔女は物事を複雑にせずにはいられない性質だった。
日常の些細な”きづき”が哲学的な境界を彷徨う時、自分が何か大変な冒険をしているような、
神経の昂ぶる感覚があった。
(丹念に段階を重ね、作り上げたパイを、オーブンから取り出すときの
 心のはやる感覚、不思議な力に満ちた――本能的な好奇心によって人体がひとりでに動く瞬間)
その体験、それが彼女という人間を構成する大きな要素になっている。

彼女は根っからの研究社気質と言える。
実際、ドーラ・シーラは魔法使いとしていくつもの発見を人間に(後に、魔物にも)扱える用理論立てて来た。
彼女の功績は、倫理感がなかったからとも言えるが、それでも
思索を楽しむ才と、集中力に恵まれていたのは確かである。
人体のおよそ70%が水であるように、シーラの精神の70%はそうした思考で占められていた。
そして
日常を代償にしたその思索は、無限の迷宮と化す。

興味が強ければ強いほど、疑問もまた、深く、多く、明瞭になる。
少女のドーラ・シーラは、目に見える色々なことを疑り、面白がり―そして
ある日、自分の中にも迷宮を見出した。
その出口の無い迷宮からは決して逃げられない。
気づいてしまってはおしまいなのだ。
嫌気が差そうと 途方に暮れようと 未知なるそれからは逃れられない。


そう、ドーラ・シーラという魔女は自分についてよく解っていないフシがある。
無論彼女はただの人間だ。ただの一人の魔法使いであり、
一人の人間が抱えられる以上の苦悩や不幸を持つわけでもない。
食事の量も、睡眠の量も、平均的な人間のそれと変わらない。
人間の腹から生まれ、人間とつがうはずだった。


+ + +









フリスト。
最初に降り立った街、タルタスより遥か東にその街はあった。
シーラは兼ねてより、街らしきものについたらやりたいと思っていたことがあった。
(彼女にとっては文字通りの)羽根を休める ことよりも、まず―







とんとん。









「あのお、ごめんくださーい!」
 







フリストの街は閑散としていた。
人の気配よりも風の音が大きく聞こえ、
人々はいるのかいないのか解らないくらい静かに、静かに暮らしているようだった。
シーラは手の甲を向け、人差し指と中指あたりを尖らせ
民家の戸を叩く。
とんとん。
その音が(少なくともシーラにとって)きれいで、面白く思われたので
彼女は次は人差し指と中指をバラバラに動かし、
ととん、ととん。
と戸を鳴らした。







「ごめんくださーい、私」
 





シーラは上機嫌で、何気なく掌をひっくり返す。今度は五指の指の腹で、
ピアノを弾くように
とととととっ
と戸を鳴らした。




「…不躾でごめんなさい、あのお。」
 







「トイレかしてほしいの!
ねえ、とっても困っているのよ!本当に」
 






…
家からは、何の音沙汰もない。
シーラはわざとらしく小首をかしげ、おもむろにバッグに手を突っ込むと
何かねじ巻き式の四角い箱を出し、戸に取り付けた。
ねじが巻かれる音。
三歩ほど下がるシーラ。
…

バン!と音を立て戸の鍵部が吹き飛ぶ。





「お邪魔しまーす…」
 




せわしなく左右を確認しながら、抜き足差し足、
足音を立てぬように家の中に入っていく。
家全体をそうして歩き回り、この建物が無人だといよいよ解ると、
途端にはしゃいで小走りで廊家中を駆け回る。
そして一室を選び、バッグをひっくり返すと、中から
缶切りのような物を掴み上げ それを窓ガラスにひっかけた。
ギギギ ギギギ 耳を覆いたくなるようないやな音を立て、
ガラスが器用に円形に繰り抜かれていく。
シーラはガラスに開いた穴に、何か粘着質の糸を張った。
そこにおがくず状にスライスされた鉱石を吹き、更に香を焚く。

いまや我が物顔で他人の家にあぐらをかいて座り、その円に向かい合うように背筋を伸ばす。
―まじない。
シーラの喉の奥から、舌を伝い、唇ではじかれる、言葉の波。
途切れ途切れになりながら、ゆらゆらと一定の調子をとり、
寄せては返す―波のような音節。
その言葉の波がだんだんと透明になっていく。
音とも振動とも区別のつかない波形のなにか。
波形のなにかがガラスを波立たせる。
漣が、激しくなり、ついに窓枠からはみ出しそうなくらいになった時
シーラはその円に手をかざし
心臓から指先に 導火線のように 一息に熱を走らせた






「開け。」
 






ガラスが歪む。
部屋も 空気も 音も 光も 全て波だって
円の中に向かっていく―
ふっ と 時間が止まった。
と思った刹那、波が逆流した。
ガラスが砕け、四散する。シーラの仮面にぶつかり、甲高い音を立てる。
突き出した手にふかぶかと突き刺さり、爆風のままに切り裂いた。






「…ダメね」
 







(この世界はアリジゴクのような形をしているのだと仮定すると一度入れば出られないというそれは引力によってつまり出られないのは自分達 
個体にかかる力が問題けれど自分達に細工をされずかえしのついたゴムのハコのような形であるならかえしの部分にのみ対処すればいい もし
世界の境界に触れた途端分枝がチリになってしまうとか であれば恐ろしいことであるけれど 今そうでなかった。力である以上それは全ての
生物にとって親しみ深いものだ力は力でしかない源があり、有限であるアンジニティ世界からの抗力で対抗できるくらいの力だ無限に近いほど
巨大であれば世界に負荷をかける分の反作用同じ拮抗する力が必要になり結果として不安定で干渉しやすくなるはず 干渉の難しい確固とした
構造があるから今まで脱走者はいない 圧縮されアンジニティが消し飛ぶもしくは極小の存在になっているとすればそれはもはや同列の世界と
はいえないアンジニティを分割世界と認識させる以上)
 






ドーラ・シーラの周囲に血溜りができていく。
動脈を切り裂き、手からあふれる血は、放っておけば、命に関わる。
だがシーラは別段気にとめることもなく、思索を続ける。






















シーラが我に帰ったのは、どこかへ出かけていただけだったらしい、
家主が帰宅し、めちゃくちゃになった一室を見て悲鳴をあげた時だった。






「あ、お帰りなさい、お邪魔してます。すぐ出て行くから」
 


「…私トイレを借りようと思って…って、もう、良いのよね?今更よね、そんな真っ黒な嘘!」
 

































チリチリチリ



自らの血でできた池に横たわるドーラ・シーラ。
白い服が赤く濡れ、べっとりと体に張り付く。
その横に 体中にクレヨンで文字の書かれた男がうずくまっている。
身体は硬直し、泡を吹きながらも、瞳が忙しなく動いているからには生きているようだ。
クレヨン文字は、太い血管に沿うようにかかれ それとなく自然に
その文字の筋と血管が混じり 皮膚から浮き出し
伸びた血管がシーラの腕に繋がれている。

ぼんやりと、手帳になんでもない言葉が記入されていく


輸血って、いっつもちょっぴり
どきどきするわ。
でもタイクツ。じっとしていなきゃ
いけないって思うと 動きたくなる
いつもはてこでもうごかないのに
へんね!
あまのじゃく!
ねむたいわあ 起こしてくれる人がいないの、不便
目覚まし時計、目が覚めないからキライ
〜〜〜〜ダーシャ〜
〜起こして〜
〜一時間…
(以下、字があまりにも汚くて、読めない)



















+ + +


陽が落ち、父や母にねむりを強要される時、彼女は素直にねむる事がなかった。
目をつぶれば、また、途方も無い思索の迷宮に
記録地点からの 冒険が始まる。
そうして彼女は迷い込んでいく。

彼女は、時折ふと、我に帰るようにして、思うことがあった。
最初にドーラ・シーラに魅入られたのは、ドーラ・シーラ自身だったのではないか、と