好きなことをしなさい。


貴女は自分の思うように生きていいの。


だけどお前に使命があるとすれば


健康に育ち 幸せになることだ














少女のドーラ・シーラは末娘であった。
四人の姉と兄。父や母。祖父母。親戚筋、隣家の人々。
色々な人間が、自分にその様な言葉をかけるのを聞いて育った。

少女のシーラは生き物の観察が好きであった。
アリの行列
雨上がりのかたつむり
花のおしべとめしべ
はっぱの裏側
蚊の六本の細い足
蜘蛛の八本の太い足
羽化
孵化
家畜の出産
餌を食べるねずみ
村の外の獣の群
…
そして自分を取り巻く人間。

少女の目に、自分と兄弟達の差は不思議に映った。
兄弟達は皆、命をかけ戦士として 人間が他の種族に脅かされないよう戦っていた。
あるいは、きっと興味のない畑仕事や糸紡ぎなどの仕事に従事している。
彼等が汗水垂らして働いている間、自分は昼寝をしても、友人と遊んでも、絵や本や歌を楽しんでも良いとされる、
犠牲の上に成り立った日常に
少女のドーラ・シーラは

引け目を感じていた。





(子供である事の 罪悪感)

(幸福に振舞うべき役割)

(罪を犯す前から)

(許されている不条理)





白昼夢。

シーラは自分の精神の映像を見た。
その映像とは
カビの成長と繁殖の様を長時間にわたり記録し
無理矢理10秒そこらに縮めたような
引力の中で細胞分裂する何かの姿
かろやかで やわらかくて ふくざつな 何か
みるみる

自分の精神が複雑化していくのを感じた。


+  +  +







ダーシャとシーラがアンジニティを訪れる日より一年程前。



「ええ、どうしても条件に合う生息地が見つからないの。だからここに作る事にしたわ!」
 



扇状に散らばるようなかたちで、10人程の人間が集まっている。
その先端にドーラ・シーラが立っている。
ダーシャは、シーラから少し離れた場所で剣を抱え、視線だけを彼女に向けていた。
シーラがするりと半皮紙を広げる。
汚い字と絵。
広げられた半皮紙には、子供の描いた宝の地図のようなものが記されていた。
シーラの指差す箇所には、村の様なものが描かれている。

要約すると、ドーラ・シーラは、火蜥蜴の魔物を繁殖させるに当たって、
巣となる場所を探している。それが、この村のある場所だと言うのだ。

10人の内、その提案に一番に乗ったのはダーシャだった。
否、彼はシーラの案に賛成したのではなく―多分何も考えていなかった。
ただ、無条件に歩を進めるシーラに追従してしまったのだ。


「何も村のある所につくらなくても…」
 

控えめに、シーラの顔色を伺う様に黄色い髪の少女が言う。


「あら、私だって村のある所につくりたい訳じゃないわ。ただ、ここが風の運びが一番よいのだもの」
 




「まずは水脈を凍結させましょう。
井戸にはねむり薬を入れるわ。毒だと土壌が汚染されてしまうから…」
 


土に落書きをするように、シーラが魔方陣を描く。
星型の陣から、わらわら、わらわら
太ったかえるが迫り出す。

「性質を強化したの。水を身体に含み、日の照りにあわせて油を出すわ。
つまり、水は枯れ、油に満ちるのよ!…あとは、雨が降らなければいいわねえ」
 

シーラはしゃがんだままの姿勢で、先ほどの半皮紙を再び引っ張り出す。
つちぼこりを払いながら、髪の毛のひとふさを差し棒のようにして、地図を見せる。


「先住民を逃がさないようにしないと。土地に帰ってきて貰ったりしては困るもの。
さ、配置を説明しちゃいます。
この―赤い線は、くもの糸。発火性のね?余り長くは持たないけれど、
炎が強いという印象は与えられるわ。
これで仕切りをつくって、それとなく誘導するの。
炎の弱い方に…それで、このしるし…この二重丸のマークの場所にあなたがた立って貰いたいの
円と円の間に名前が書いてあるから、確認して?」
 



…

ダーシャは手持ち無沙汰に空を見詰めている。
そのダーシャに、シーラが小指を立て、眼前につきつける。
尚も無反応の彼の腕を掴み、持ち上げ、こねくりまわして同じ形をとらせると
小指同士を絡ませた。



「ゆびきり、げんまん。鼠一匹でものがしたら、針千本のーます、ゆびきった!」
 




+  +  +





目にも止まらぬ速さで飛び上がる
2mは下らない虎。顎を一杯に広げ、牙を向き出し、
降って来る―すんでの所で前転し、身をかわす。
肉食獣特有のあまりにも柔軟な肢体。
すぐに体制を整え、前足を振るってくる
掠めれば、身体ごと削り取られてしまうだろう太い足
―ダーシャは反射的に剣先を 水平に構える。
獣の力に任せるように剣が肉に埋まっていく。
慟哭。
身体を引き
剣を更に、額から顎を貫くように刺す。
悲鳴は上がらない。

ダーシャは剣を抜き、血を払う様に、切っ先を振った。
黒い鎧の表面を、返り血が滑り降りていく。炎が照りつける。

…
この村の住人達は、そのほとんどが獣に化ける術を習得している様子だった。
ある者は猛獣に化け、襲ってくる。
ある者は、鳥や小動物に化け包囲網を抜け出そうとする。
この村は優れた戦士が多いらしい。傭兵でもなんでもない村人が術を習得していることからも、身を守る事への意識の高さが伺える。
彼等は敵を素早く判断し、躊躇なく攻撃を仕掛けてくる。
ダーシャは息を切らせ、神経をすり減らしながら 次々と向かってくる敵を切り捨てた。
不気味な事に(当たり前の事だが)魔物はダーシャに味方した。
異形達が自分を仲間として迎え入れている、不愉快さがそこにはある。
剣を握る手の小指に、かかる、黒い霧のようなもの
霧の中に時々 虫が水の中を泳ぐような軌道の青い光が走った

ドーラ・シーラのまじないが、ダーシャを魔物の一員にさせている
…






+  +  +








…

……



…村はいよいよ燃え上がり、あまりの熱気に近寄ることもできなくなった。
ダーシャは目の焼付きそうな光に目を凝らし、まだ村から出てくる者がいないか見張っている。
その傍で、シーラと黄色い髪の少女が、いつものように戦利品をひとつひとつ眺めている。
大量のプレゼントボックスを順番に開けていくように、次のものを見るのが待ちきれないという様子で
村から強奪したアイテムを調べている。




「―あら?」
 




そのドーラ・シーラが手を止め ふいに立ち上がった。
そして
火の方へと歩を進めた。

「―これって」
 

歩を進める。

「―おかしいわ」
 

まだ歩を進める。

「―だけど」
 

立ち止まる。
火の粉がシーラの服に落ち、黒い痕を残していくが、シーラはただ棒立ちし、村を見ている。
傍らのダーシャは怪訝な顔をする。
村はごうごうと燃えている。付近でころされた人々の死体を飲み込み、大量に煙を噴出し…
少なくとも、シーラの計画通りに事は運んでいるはずだ。

(あれ程近づけば、ドーラ・シーラといえど、相当熱いだろうに―)
 

シーラが背中越しに顔だけを振り向かせる。
その表情は、強い逆光で見えない。声だけがいつもと変わらぬ調子で、弾んでいた。
























「ここって私の産まれ故郷だったかしら?」
 
















ドーラ・シーラは優しくされ、甘やかされ、愛されて育った子供だ。
生き物を愛し、周囲の人々を気遣い、好奇心旺盛な 
ありふれた少女。
一つの出来事が人格形成の全てを決定するという事が無いにせよ
少女の育ちに 人格を歪めるような出来事はなかったのだ。
むしろ彼女は―
純粋に育った。
生き物を愛し―生体を理解し
周囲の人々を気遣い―人間にとって何がよい事なのか考え
探究心と好奇心を失わなかった―どこまでも
彼女は、すべて。
少女の頃に持っていたものを純粋に成長させたのだ。


(彼女は生き物が好きだったが 命を愛していた訳ではない)

(彼女は人々を気遣ったが 自分が群れの一員だとは思わない)

(彼女は知識欲旺盛だったが 知り得たもののほとんどを知識としてしか理解しない
 例えば倫理、例えば心、例えば”愛”)

彼女を育てた人々は、その単純な構造に誰一人として気づく事ができなかった。
何故ならドーラ・シーラはありふれた少女であり、人々にとって特別興味を惹かれるような存在でもなければ
少女らしく 秘密を隠すことに長けていたのだから








熱風にひらひらとページが踊る。
少女のドーラ・シーラが作った押し花図鑑がそこにあった。